他意のない言葉に、自分でも驚くくらい深く傷ついている

それはちょっとした好奇心。何気ない日常会話の風景。想像力の欠如。

地震は大丈夫だったんですか?」
例えば、出身地を聞かれ「仙台」だと告げると必ず聞かれるこの質問(※この質問に傷ついた訳ではない)。興味を持ってもらえることは嬉しい、悪意のないことも分かっている。僕個人は震災で何か大きな損害を受けた訳ではない。この質問にも慣れている。
でも、僕がもしも「大丈夫じゃなかった」としたら・・・。
想像して欲しい。この質問をされて、どんな想いをするだろうか。

たぶん、こうやって僕自身も人を無自覚に傷つけてきたのだと思う。そこに悪意がないからこそ、日常の中の当たり前の場面だからこそ、見えなくて、気づくことができなくて、タチが悪い。相手を思い遣るということは、本当に難しい。