内田さんのこのブログを読んでハッとした


僕の周りには(僕を含めて)なんだか「生きづらそうな人」が多い。内田さんの言葉を借りれば、既存の社会システムにスマートに順応できない、というか、したくない感じ人たちだ。たしかにシステムの中で「費用対効果のよい生き方」"=お金、地位・名声、安定とかは得られないかもしれない。その部分は半分あきらめるしかないのかも。ただ、個人的には、スマートな人って全然面白くない。僕の友だちは皆どこかが"変"で、無駄にいろんなことを考えているから「生きづらい」。その代わりにすごく面白い。目に見えるモノを見せびらかす人より、目に見えない得体の知れないモノを隠し持っているような生きづらい人との交流を(結構しんどいけど)大切にしたいとか思った。


"「あるがままの自己」を受け入れるということは、「システムが順調に機能しているときは羽振りがよいが、カオスには対応できない」という無能の様態を選ぶか、「破局的状況で生き延びる力はあるが、システムが順調に機能しているときはぱっとしない」という無能の様態を選ぶかの二者択一をなすということである。どちらかを取れば、どちらかを諦めなければならない
(中略)
だから、私たちがこの先頼りにできるのは、今のところあまりスマートには見えないけれど、いずれ「ひどいこと」が起きたときに、どこにも逃げず、ここに踏みとどまって、ささやかだが、それなりに条理の通った、手触りの優しい場、人間が共同的に生きることのできる場所を手作りしてくれる人々だということになる"
http://blog.tatsuru.com/2014/05/14_0818.php