自分の強さを認める、という困難さについて

類は友を呼ぶ?のだろうか。僕の周りには、社会に対して不安を持つ人や違和感を持つ人が多い。人と違うことに悩む人、皆と同じステップを踏みたくても踏めない人、同じステップを踏むことに疑問を持つ人。それぞれがそれぞれの葛藤と戦っている。

「自分の弱さを認める」ことが大事だと言う人がいる。上手くいかないのは本人に何かしらの問題があって、それを解決せよと言う人がいる。

僕や僕の周りにはいる人は、そう言われ続けてきた。自分の悪いところを探して、探し疲れて、もうグッタリ。

自分の弱さしか見えなくなり、次第に、他人に対しても弱さしか見えなくなる。

でも、僕個人としては、人には普遍的な強さも弱さもないと思っている。それぞれの個性の発揮が、環境や状況によって強さや弱さといった解釈に変わるのではないだろうか。

自分の弱さを認め慣れてしまったからこそ、強さを認めることの困難さは深い。けれど、何が弱さで、何が強さなのかが環境に左右されるとしたら、トライアンドエラーを繰り返して、自分で見つけていくしかないのだと思う。